あとがき〜いま、思うこと

  第12回定演と卒部までの活動記録のまとめを主目的としてスタートした 『第12回定期演奏会&卒部までの歩み』(以下、『歩み』)編纂も、桜の季節に入ってゴールが少しずつ見えてきました。 平成28年7月3日(日)の午後、何人かの唱和会員にお集まり頂きました。私たちの定演記念日である11月8日を目途に、 WEB媒体を通して、いつでもどこでもアクセス出来るようにすることにしました。

 入学時66名(女子36名、男子30名)の同期部員の内、34名(女子16名、男子18名)が4年間歌い続けました。 私たちが取り仕切った第12回定演後のレセプション(柏桜会主催)も終盤に差しかかった時、 司会者(一年先輩の浦山さん)からひと際甲高い声があがりました。 「4年生、全員集〜合〜」と。会場中央のひな壇に早川先生が登りました。 先生を囲んでそれぞれが見上げます。 誰かがハミングしたH音を合図に、テナーのユニゾンで“Weiß mir”をスタートさせました。 3拍目からアルトが、そしてソプラノ、ベースと続きます。8小節目の“O Blümelein”のあたりで、 先生は両腕を交差させて顔を覆いました。一人ひとりの目にも涙が溢れ出ていました。

 静かに眼を閉じれば、当時のことが瞼の裏に投影されてきます。
 「月火水木金土の昼休み30分間のパート練習と腹筋」、「週2回(水2時間、土3時間)のアンサンブル」、 「毎週通う男子部⇄女子部(片道50分)、新大久保駅⇄日暮里駅・上野駅(山手線)」、 「週1のボイストレーニング」、「演奏会間近の特訓」、「三々五々集まってのハモロー会」、 … そんな毎日でした。歌うことが好きでなければ、合唱が好きでなければ、それはそれは続けていけなかったでしょう。 そして、年間4つの演奏会を持ちました。それらは、各演奏会担当係や会計の頑張りの証左なのです。
 部員全員の唯一の共有財産が楽譜です。多くの楽譜は、楽譜係が手書きで用意する時代でした。 下級生の重要な役割の一つで、勲章は徹夜とペンだこ…、今でもデュプロ印刷には親しみを覚えます。
  土曜日の女子部でのアンサンブル終了は17時過ぎでした。帰り途の夕暮れ時、上野公園の噴水前で、 松本君の指揮で愛唱歌をハモったことが何度かありました。記憶から消えない光景です。
  PL(パートリーダー)会では、新たな取り組みにチャレンジしました。 目的は、部員が集う時に楽しむ愛唱歌を増やすことで、学生指揮者主導の「今月の歌」シリーズを始めました。 その曲のいくつか(「どんぐりころころ」、「七つの子」など)が、松本君の振る初ステージの曲となりました。 もう一つは「PL合宿」です。アマチュアに甘んずることなく、自力で技術力向上を目指してのものでした。 春夏の長期の「混声合宿」、冬秋の「男声合宿」「女声合宿」では、何人もの声枯れ病が流行しました。 それが一人前の証と、先輩方から実しやかに言われたこともありましたね。
 驚きは続きます。それは、部員相互のコミュニケーション作りの努力です。 企画、庶務広報、学年委員が担当し、周りの協力で進められた各種行事が毎月ありました。 「新入部員歓迎会」、「学年会」、「スケート旅行」、「東薬祭仮装行列&歌声喫茶」、「サマーキャンプ」、「クリスマスミーティング」、「合宿最終日の懇親会」、「入学式、卒業式での校歌斉唱」…… 。さらには、練習終了後の喫茶店での親睦会、吉野寿司などでの慰労会、部員宅での相互泊り会、…… そんなこともありました。
 また、「執行委員会」を筆頭に、会議や各担当の打合せも、かなりの頻度で開催されました。企業経営であれば、経営会議、研究開発会議、人事委員会など組織運営の基盤に相当する会議です。勉学が本分である薬学生が、勉学と部活の両立を一番の条件として実践したこれらの活動には、ただただ“恐れ入りました”という感想しか出てきません。
 もう一つ、どうしても触れておきたいことがあります。演奏会の裏方の存在です。ステージ運営責任者のステージマネジャー、プログラムのアナウンサー、舞台作り、警備係、チケット係など、多くの同窓生が支えてくれました。人は一人では生きていけないことを教えてくれたのです。有難うございました。  

 昭和44年4月、35名の“おのこ”“おみな”は、それぞれが選んだ道を歩み始めました。あれから50年近くになります。この『歩み』は、会員一人ひとりの青春のワンステージを、できる限り正確に著わそうとしたものです。そして、東薬合唱団を通して出会った先輩、後輩、同輩、そしてご指導賜りました諸先生への感謝と畏敬の思いを込めました。どのように感じられるかは、一人ひとりに委ねるしかありませんが、何よりも味わい楽しんで頂くことが望みです。それが正直な気持ちなのです。
 改めて申しあげましょう。これを機会に、全員との是非の再会を心から祈念しております。

(文責:井上 和裕/平成28年10月吉日)